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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)9648号 判決 1978年9月28日

主文

一  被告は、原告に対し二六三四万二、一九二円とこれに対する昭和五二年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は五分し、その三を原告の、その二を被告の負担とする。

四  この判決第一項はかりに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し六、〇〇〇万円とこれに対する昭和五二年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

原告は昭和四九年二月一〇日午後四時二〇分ころ、札幌市西区手稲稲穂二〇二番二先路上を自動車を運転して走行中、被告運転車両に正面衝突された。この事故は追越しのためセンターラインをこえて原告の進路に進入した被告の過失によつて発生した。

2  受傷

原告はこの事故で、頭部、頸部、肩、胸、背、腰、右大腿挫傷、頸椎捻挫等を負い、めまい等の後遺症状は昭和五二年五月末日固定し、その程度は後遺障害等級の第九級に当る。

3  損害

(一) 治療費 六七万三、五九三円

被告既払分を除き、昭和五二年一二月二八日までの間に要した分

(二) 付添費

(1) 職業付添婦分 五一万〇、〇七六円

昭和五三年一二月三一日までの分

(2) 岸本澄子分 四七万二、五〇〇円

昭和五〇年四月一九日から八月三一日まで一三五日間、原告の姉岸本澄子が原告に付添つた。一日当り三、五〇〇円。

(3) 岸本かつえ分 二一三万八、五〇〇円

原告の家庭は娘みゆきとの二人暮しである。みゆきは当時一五歳で独り暮しが困難なため、原告の母岸本かつえが昭和四九年二月一〇日から五〇年一〇月一四日まで五八一日間付添つて一切の面倒をみた一日当り三、五〇〇円。

(三) 転院費 三一万円

(1) 昭和四九年一一月二五日北海道小樽市坂井病院から東京都豊島区松石外科病院へ転院するのに要した交通費二五万円

(2) 昭和五〇年一月二五日松石病院から帝京大学医学部付属病院へ転ずるのに要した三万円

(3) 昭和五〇年四月一九日右大学病院から静岡県賀茂郡東伊豆町の豊寿園温泉病院へ転じようとしたのに要した三万円

(四) 入院雑費 六九万六、六五〇円

入院四四八日間中に諸雑費として支出した。

(五) 通院交通費 七万〇、一四〇円

(六) 歩行補助器具代 二万〇、二五〇円

(七) 休業損害

(1) 逸失所得 七八〇万円

事故当時、原告はダンス教室小樽文化学院を経営し、小樽と東京でダンス教授に従事していた。これによつて得た収入から諸経費を差引いた昭和四八年度所得は小樽の分一四三万七、四六四円、東京の分四一五万七、八九七円、合計五五九万五、三六一円であつたから、月収は四六万六二八〇円あつた。本件事故によつて休業するにいたつたため、支払を受けた昭和五〇年三月までの分を除き、同年四月から症状が固定した昭和五二年五月までの二六か月間に、少なくとも月額三〇万円の割合で七八〇万円の所得を逸失した。

(2) 建物賃借料相当の逸失収入 二五三万六、〇〇〇円

原告は、ダンス教室会場として、小樽と東京で建物を賃借し、ダンス教授で得た収入から賃料を支払つていた。原告は回復次第ダンス教室を再開するのに備えて、小樽の方は月額賃料五万円で昭和五〇年七月まで一八か月間賃借し、東京の方は、賃料が昭和四九年二月一日から昭和五〇年二月まで月額三万七、〇〇〇円、同年三月から昭和五二年二月まで月額三万九、〇〇〇円、同年三月から五月まで月額四万五、〇〇〇円、契約更新料が昭和五〇年三月三万九、〇〇〇円、昭和五二年三月四万五、〇〇〇円、合計金二五三万六、〇〇〇円で賃借した。原告が休業しなかつたならば、この賃料に相当する収入をえた筈である。

(八) 労働能力低下による逸失利益、五、五八九万七、四六二円

労働能力喪失率は三五%、年間喪失額五三八万五、一一二円、就労可能期間昭和五二年六月(五二歳)から一五年間、中間利息の控除ライプニツツ方式(係数一〇・三八〇)とする。

(九) 慰謝料 六〇〇万円

(1) 治療期間中の苦痛に対し三〇〇万円

(2) 後遺症による苦痛に対し三〇〇万円

(一〇) 弁護士費用 二六〇万円

(一一) 自賠責保険金によるてん補 一〇四万円

(一二) 差引合計 一〇、三三九万四、一〇四円

4  結論

よつて、原告は被告に対し、本件交通事故による右損害賠償金額の一部である六、〇〇〇万円とこれに対する昭和五二年九月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認める。その余の事実は知らない。

第三証拠〔略〕

理由

一  交通事故の発生と被告の過失

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  原告の病状、治療経過

成立に争いがない甲第一〇号証の一ないし一四六、第一一ないし第一八、第三二、第三三、第三六ないし第四二、第五三ないし第五六号証、原告本人の供述(第一、二回、以下略す)によれば、原告はこの事故で、頭、頸、肩、胸、背、腰、右大腿部挫傷、頸椎捻挫を負い、事故当日から同年一一月二五日までは小樽市内の坂井外科医院に入院し、同日東京都豊島区の松石外科病院に転じて昭和五〇年一月二五日まで、さらに同日から帝京大学医学部付属病院に移つて入院生活を続け、同年四月一九日ここを退院してリハビリテーシヨンを受けるため転院しかけたが、その道中具合が悪化して自宅で療養するようになつたこと、そして、昭和五〇年一〇月二七日から都立豊島病院へ通い始め、昭和五一年四月一九日からは帝京大学病院へも通うようになり、その過程で六月九日から二二日にかけて右大学病院での入院がはさまり、結局、通院治療日数は右大学病院が昭和五二年九月二六日までのうち三九日、右都立病院が昭和五二年一二月二八日までの間に九六日に達したこと、自覚症状としては頭痛、目まい、はき気、動悸、右半身の不全麻痺、右膝、右足関節の運動制限が主なもので、他覚的所見としても眼振、右半身感覚障害・血管運動障害、右下肢運動障害(右膝関節屈曲は自動・他動とも九〇度、右足関節の屈曲は二〇度、伸展不能)が確認されていることが認められる(なお、右治療には薬疹等に対するものも含まれているが、本件事故との関係を認めて差支えないものと推認される)。

三  損害

1  治療費 五二万二、三八二円

甲第一〇号証の一ないし一四六、成立に争いのない甲第二〇ないし第二二号証、第六八号証の二、原告本人の供述によれば、治療費中、原告が差入れた入院保証金で充てられた松石外科病院分の一〇万円、このほか転院に当つて同院に支払つた一五〇〇円、帝京大病院入院中分二二万九、五三七円、同院通院中分一〇万〇、一七一円、都立豊島病院分九万一、一七四円が原告の出捐によることが認められる。

2  付添費 一〇九万二、七四六円

(一)  職業付添婦分 五一万〇、二四六円

成立に争いがない甲第六、第二四ないし第二九、第四三ないし第四七、第五八ないし第六一号証、原告本人の供述によれば、原告は、家政婦料として昭和五〇年四月八日から一九日までの分六万七、一七〇円、昭和五一年六月九日から昭和五二年一二月までの分四四万三、〇七六円を支出したことが認められる。

(二)  岸本澄子付添分 四七万二、五〇〇円

原告本人の供述、これによつて真正に成立したと認められる甲第八号証によれば、原告が帝京大学病院退院後リハビリテーシヨンを受けるため転院する予定であつたので、姉の澄子は原告に付添うため昭和五〇年四月一八日勤務先を辞めてこれにそなえたが、翌日転院先に赴く途中、原告の具合が悪化して事情が変つたため、昭和五〇年八月末まで原告の自宅療養に付添つたことが認められる。関係事情を考慮すると、一日当り三、五〇〇円の割合で一三五日分を本件損害として相当と認める。

(三)  岸本かつえ分 一一万円

原告本人の供述によれば、原告の母である岸本かつえは、原告が本件交通事故で入院して以来、当時小樽市内の中学二年生であつた原告の娘みゆきに付添つて面倒をみ、みゆきが中学三年生の二学期が終了するのをまつて原告に遅れて東京に移つてからも、昭和五〇年一〇月一四日まで傍に居て、終始みゆきを世話したほか、澄子のあとを受けて原告の世話もしたこと、ところで、原告はもともとダンス教師としての仕事で、月の半分ずつ東京と小樽を往来し、多摩市一の宮八七一番地に住んでいたころは留守の間女中にみゆきを託していたが、その人手がなくなつたこともあつて、昭和四七年四月みゆきを小樽に移し、自分が東京出張中は母やダンス教室の研究生等にみゆきの世話をゆだねていたことが認められる。右の事実関係からすると、みゆきの付添等に要する費用は原告の所得から支弁されるべき性質のものであり、これに関する請求は原告の休業損害の賠償請求と重複して不都合である。したがつて、原告の付添としても必要であつた期間に限定して、昭和五〇年九月一日から一〇月一四日まで、一日二、五〇〇円の割合で本件損害として認めることとする。

3  転院関係費 二一万六、七二〇円

成立に争いがない甲第六八号証の一、三ないし五、七、八、原告本人の供述による(甲第六八号証の六の分は、同号証の四の分と同一である疑いもあり、採用するに足りない)。

4  入院雑費 二二万三、〇〇〇円

一日当り五〇〇円の割合で四四六日分を本件損害として相当と認める。

5  通院交通費 四万七、八九〇円

甲第一〇号証の六二ないし六五、六七ないし六九、七一、七三ないし七七、七九、八二(八三の分は重複)、八六、八八、九〇、九一、八三、九七、九八、一〇二、一〇三、一〇五、一〇六、一〇八ないし一一〇、一一二、一一七、一一九、一二〇、一二五ないし一二八、一二九(一三〇の分が重複)、一三一ないし一三三によれば、タクシーによる通院費として、豊島病院分(但し、昭和五一年七月一四日分は高額にすぎる疑問はあるが)五、〇八〇円、帝京大学病院分四万二、八一〇円を認めることができる。

6  歩行補助器具代 二万〇、二五〇円

成立に争いがない甲第三三、第三四、第四八号証による。

7  逸失利益 一、八七五万九、二〇四円

(一)  算定基礎

成立に争いのない甲第一、第三〇、第三一、第三四号証、第五〇号証の一ないし三、第五一号証の一ないし三、第五二号証の一、二、第六二号証の一ないし三第六四、第六六号証、第六七号証の一、第七二号証、板橋税務署の調査嘱託回答、原告本人の供述、この供述(第二回)によつて真正に成立したと認められる甲第九号証、第六三号証の一、二、第六五号証の一ないし三によれば、(1) 原告は大正一四年四月二六日生れの女性で、夫と離別して昭和四七年三月までは多摩市に住居を構え、月の半分ほどは工場や銀行などの職場に出向いてダンスの指導をし、あと半月ほどは小樽ヘダンス講師として出張する形で営業していたが、四月にダンス教室小樽芸術文化学院を開設してからはここを娘のみゆきともどもに実質上の住所とし(原告は住民登録は多摩市にそのままにしておき、翌年四月一日、現住所の板橋に転入する手続をとり、みゆきは小樽市内の父方を住民登録上の住所として多摩市から転入の手続をした模様である)、逆に東京へ出張する形を取つて、両地でダンス教授業を営んできたが、同年九月三〇日交通事故に会い、一〇月から三か月間休業したこと、この年の分の確定申告は、小樽税務署に対し小樽での分として、ダンス教師業による収入(以下、事業収入)が一一九万七、四六五円、経費八五万二、〇八七円、差引所得三四万五、三七八円、不動産収入が四〇万一、〇〇〇円、経費二〇万四、〇〇〇円、差引所得一九万七、〇〇〇円という内容の申告をし、その後、昭和四八年四月一日付で板橋へ転入手続をとつたあとで、板橋税務署から怠つていた東京分の申告を促され、東京での事業収入二一一万九、〇〇〇円、経費九一万三、〇〇〇円を右の小樽の分と合わせて、昭和四七年分事業所得額を一五五万一、三七八円(但し、このなかには不動産所得が脱落している)として申告したこと、(2) 原告は昭和四八年一月からその営業を再開し、この年の分の確定申告は、(イ) 一方で小樽税務署に対し昭和四九年七月一六日に、ダンス、活花、絵画教授による収入が三二六万八、〇〇〇円、経費一九六万〇、五三六円、差引所得一三〇万七、四六四円、このほか、不動産所得一三万円、合計所得額一四三万七、四六四円として申告し、(ロ) 他方で板橋税務署に対し同月二七日に、東京でのダンス教授業による所得を一一六万九、五〇〇円として申告したこと、(ハ) さらに、同年一一月六日板橋税務署に対し、小樽での確定申告した事業所得額一三〇万七、四六四円には申告洩れがあつたとして、それを二二四万八、二六一円に修正申告したこと、右申告洩れ額は、原告が指導していたダンス教室の研究生が昭和四七年の交通事故で打撃を受けた原告を金銭的に援助する等の趣旨で、昭和四八年度中に月一回ダンスパーテイーを主催し、原告に贈つた益金九四万〇、七九七円であること、(3) 原告は昭和五三年三月六日板橋税務署に対し、(2)の昭和四八年分事業所得二二四万八、二六一円を四〇二万七、八九七円とさらに修正申告したが、それは(2)の(ロ)の申告が(イ)の申告と二重申告であるとして取消処分を受け、一一六万九、五〇〇円が昭和四八年事業所得から洩れてしまう結果になつていたのをただし、このほか、昭和四八年七月に前の事故の示談が成立して受領した休業補償六一万〇、一三六円を追加するものであつたこと、(4) 原告は、以上に述べた事業所得関係の申告のなかでは、家賃について、板橋の建物の分は賃料(昭和四七年一〇月から月額三万七、〇〇〇円、昭和五〇年三月から同三万九、〇〇〇円)全部を、小樽の分(昭和四八年六月まで月額四万円、翌月から五万円)では一定割合(三分の一と推認される)を経費として処理していたこと、なお、板橋の建物はそれ自体が原告の教授場であつた訳ではないが、東京へ出張レツスンに出かけた折の宿泊などに利用していたようで、原告が東京に転院し、みゆきがそこに引揚げてきてからはじめて実質的にも原告の住所となつたこと (5) 原・被告間において昭和四九年一一月二日の時点で、被告は原告に補償の一部として事故時から毎月二三万五、〇〇〇円を支払う旨約束がなされ、その後間もなく、右金額は初めに遡つて三〇万に増額訂正されたこと、(6) 原告は昭和五〇年七月までで小樽芸術文化学院を閉鎖し、その建物を貸主に返還したことを認めることができる。右(2)ないし(4)の事実を前提とすると、原告の昭和四八年度における事業所得は二四七万六、九六四円と算定すべきである(ダンスパーテイーの益金は原告自身の労務による収入ではないし、昭和四七年の事故の休業補償金は同年一〇月から一二月までの休業による損害をてん補すべきものである)。この所得は月額二〇万六、四一三円となるが、本件交通事故前に確定申告ずみの(1)で述べた昭和四七年度の事業所得一五五万一、三七八円、これはダンスシーズンのクリスマスなどには相当間がある九月までのもので、それでも月額にして一七万二、三七五円になつているのにくらべて伸びが異常とするに足りず、本件交通事故でなされた申告であるからといつて、疑がわれるような額とはいえない。

ところで、甲第三六ないし第三八、第五四ないし第五六号証、原告本人の供述によれば、頭痛やめまい、右半身の知覚異常、右足・右膝関節の運動制限は昭和五一年一二月一一日までには後遺症としてほぼ固定したと把握される状態になり、多少好転した面もないではないが、昭和五三年五月の時点でも原告は身体のしびれを感じ、起き抜けのころは右手が使えず、右足の方は歩行が不便で、月のうち二、三回はまだ目まいに襲われて動けなくなることがあること、ダンス教師として再起できる可能性は消え、ただ、家庭内での生活には差支えない程度に身体が慣れてきていることが認められる。右の状態は従前の原告の労働能力にくらべると三五パーセントの低下をきたしているものと把握することができ、将来においてこれが大きく好転すると認めるに足りる証拠はない。なお、昭和四七年の事故がもたらしていた原告の身体の変調は本件事故による症状と共通した面もあるが、昭和四八年一月以降の原告の仕事ぶりなどからして今回の症状に対する影響を否定するのが妥当であるし、自動車保険料率算定会の調査回答は右の後遺症に関しての認定を動かすに足りるものではない。

そこで、逸失利益を算定するに当つて基礎とすべき金額について検討する。

原告が、ダンス教師としての再起の可否の見通しがつけられる時期(原告が小樽の教場を閉鎖した昭和五〇年七月は多少長い嫌いはあるが、ことの推移上、判断時機として妥当性を失したとまではいえない)までは原告の事業所得に経費として処理された家賃部分を加えて考慮するのが相当で、そのごは原告の労務による事業所得だけを基礎とすべきである。昭和四八年の事業所得二四七万六、九六四円に経費たる家賃(板橋の分年額四四万四、〇〇〇円全部と小樽の分年額五四万円の三分の一)を加えた年額は三一〇万〇、九六四円となり、これに昭和四八年からの時の推移やその間の周知の経済情勢、公刊の昭和五一年賃金センサスによれば、大学卒女子労働者の原告と同年輩の平均賃金が三六〇万円に近いことなどを合わせ考えると、原告の逸失利益を算定するのに後遺症固定ごの分を含めて月額三〇万円をもつて基礎とするのが妥当であり、従つて、右症状固定までを事故時から三五か月間とし各月三〇万円の損害を、そのごは年収三六〇万円について、原告が労働可能と認めてよい六七歳までの一六年間に渡つて、三〇パーセントの労働能力低下による損害を蒙つたと認めるのが相当である。事案に鑑み、現価換算はホフマン式を採ることとする。なお、事故のあつた月から昭和五〇年三月まで各月三〇万円の補償を原告が被告から受けたことは原告が自認するところであるから、その一四か月分はここで差引くこととする。

(二)  算式

300,000×(35-14)+3,600,000×0.30×11.5363=18,759,204

8  慰謝料 五〇〇万円

既述の関係事情を考慮すると、原告が蒙つた精神的損害の額は五〇〇万円と算定するのが相当である。

9  損害のてん補

原告が自賠責保険金一〇四万円を受領し、これを以上の損害額から差引くべきことは原告の自認するところである。

10  弁護士費用 一五〇万円

原告が訴訟代理人に支払うべき弁護士費用のうち、一五〇万円を本件損害として相当と認める。

四  結論

原告の請求は被告に対し、不法行為に基づく損害賠償金二、六三四万二、一九二円とこれに対する不法行為日ごの昭和五二年九月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は正当でないから棄却する。民事訴訟法八九条、九二条、一九六条

(裁判官 龍田紘一朗)

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